体罰とか。。。

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2月1日の開校以来、
問い合わせが約10件。指導開始がすでに何名かいます。
うーん。いいペースなのか悪いペースなのかわかりませんねぇ
とりあえず、5日目としては。。。

今朝、テレビを見ていると体罰の特集をしていました。
いじめ、差別、体罰には似たような構造があると私は考えています。
けれど、前2つと指導の中での体罰は次元が違うとも思うのです。

前2つは受けてる当人の向上という観点がありません。
指導には受けている当人の向上という美名がある。
だから、肯定的な人がいたりとかある。

私自身は、体罰は言葉の暴力を含め、全否定派なので、
「××の塾では生徒を殴るんだよ」みたいなことを聞くと
いろいろな意味で「すげぇ」と思ってしまいます。

まず、殴って従わせないと話聞かないのか?
殴られた生徒の気持ち考えないのか?殴られた生徒の親の気持ちとかどうだ?
そんなことをドガエシして生徒に手を挙げる「熱意」は到底理解できない。

むかし、私は近所でも有名なT進学教室に通っていました。
厳しいことで有名で数学の苦手であった私は中2内容の授業で
「こんなのもわからねぇのか」
とか言われて大変追い詰められ体調を崩した覚えがあります。
わからないのだから塾に来ているのでは?
とひそかに思っていました。
だから、この20数年間「こんなのもわからないのか」だけは使ったことが
ありません。あと、「なぜ、できない」も。。。
使った覚えがないけど、ひょっとしたら言われた覚えのある人もいるかも。。。
その人たちごめん。
けど、
わからないから、できないから、塾に来るので、それを生徒の責任にしてしまうのは
塾としての怠慢のような気がする。

くさい言い方をすれば、わかった!!と生徒さんが言えた時の笑顔が見たくて
この仕事してるのかなとも思う。ある意味20数年前から成長してませんね。(笑)

また同時に言えるのは、指導者や先生というのは生徒にとって絶対権力者に
近い存在なのだから、
絶対権力者が殴ったらそれは暴君決定でしょ。
親に対してだって、人質とってるんだから。
あがめられ、奉られるとどんどんそれが見えなくなってしまう。
また、どこか心の距離も離れてしまうような気がする。
だから、若い衆を使うのですが。。。

話を戻すと、体罰ってやっぱり関係性に集約される気がするのです。
だから、「殴られてよかったよ、おれ」があるし、「殴られていやだったよ」もあるのでは
ないかと。擁護する人も批判する人も。

ただ、殴ってました。その行為だけを見ると学校教育法11条に定める体罰ですね。
となる。

でも、そこに関係性についての観点はない気がするのです。
むしろ、体罰以前に、指導にあたる生徒さんとちゃんと関係性を作れていないことのほうが
やはり問題な気がする。
若い先生は関係の作り方がわからずに、
古い先生は心の距離を見間違って、知らず知らずのうちにえらいとおもってしまって。。。
体罰してしまうのかもしれない。

どっちにしろその生徒さん一人一人をじっくり観察できたなら、よく理解できたなら
手を上げずにすむ方法はあったのではないかなと思うし、
そんな暴力に負けないくらいに心が強い生徒たちにしていきたいと思っている。

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